「蔵春閣」

ページ番号1001577  更新日 平成30年11月16日

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「広報しばた」2017年11月1日号掲載

この度、当市出身の実業家・大倉喜八郎氏の向島別邸「蔵春閣」が、当市へ寄贈されました。蔵春閣は、政界財界の大物や海外からの賓客をもてなすための迎賓館として明治45年に建てられたものです。当時は、伊藤博文などの歴代首相や渋沢栄一などの実業家を招いたと聞きました。「政治は夜作られる」のたとえのとおり、大正・昭和の歴史はここで作られたのではないでしょうか。

先の大戦で焼失した明治天皇の皇居「明治宮殿」の造営に当たったのが、大倉土木(現・大成建設)です。蔵春閣はその宮殿を摸したもので、当時の様式を残す大変貴重な建物です。

大倉喜八郎氏は、上水道の建設や大倉製糸場新発田工場の操業など、郷土の発展にも貢献された方です。かつて、「喜八郎氏のような大商人になりたい」と言って、新発田をあとにした少年がいました。初の名誉市民・坪川洹平(つぼかわかんぺい)氏です。彼は、郷土への貢献が国家や人類の発展に寄与するという信念をお持ちでした。活版所の見習い工を皮切りに、さまざまな仕事に就いて成功を収め、その富をもとに、新発田町立図書館や公民館の建設にもご尽力いただきました。

坪川洹平氏は、貧しくとも努力によって偉業を成し遂げたジョージ・ピーボデーの伝記に感銘を受け、人生の指針にされたそうです。この伝記を「貧児立志伝」として翻訳したのが、菅谷出身の高橋光威氏です。慶応義塾大学を卒業後、新聞社に勤め、明治41年から衆議院議員となり、原 敬(はら たかし)内閣では内閣書記官長(現・官房長官)を務められました。また、高橋光威(みつたけ)氏と大倉喜八郎氏との関係について、盛岡市にある原敬記念館の館長から意外な因縁があると聞いたことがあります。明治の快男児と郷土の未来へ投資した篤志家(とくしか)、そして時の政府の要となる政治家という駿傑(しゅんけつ)を輩出した新発田は「懐(ふところ)の深いまち」と言えます。蔵春閣は、そうした新発田の奥深さと誇りを我々に取り戻させる未来への宝箱となることでしょう。

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