米倉集落 守谷 純さん
米倉をもっとおもしろく、子どもたちが戻ってくる場所へ

任期:H29.4~R2.3
何度も通う中で見つけた理想の場所
新発田市の協力隊になった経緯を教えてください。
―中々山地区に住んでいる妻の両親の影響ですかね。
奥様のUターンで新発田に来られたんですか?
―いや、妻の両親も移住者なんです。最初は週末だけの田舎生活を楽しんでいたんですけど、退職を機に新発田へ完全移住。両親の住んでいた東京の家が空いたので、私たち夫婦がそこに住んでいました。
では、どうして守谷さん一家も新発田に?
―元々、地方移住は考えていたんです。ぼんやり長野や熊本がいいかなぁって。でも、仕事が忙しくて見学に行くひまもなくって。
新発田には見学に来られましたか?
―見学というより、年に4-5回は通ってましたね。中々山の両親へ孫の顔を見せに行ったり、農作業を手伝ったり。そうする中で、移住するなら新発田がいいのかなって考えたのを覚えています。
どうしてそう思われたんですか?
―東京からのアクセスのよさがひとつ。もうひとつは、田舎過ぎないってところですかね。
田舎過ぎないというのは?

―自然に囲まれているのはもちろん、保育園や小学校が近くにあるっていうのが絶対条件。中々山へ行く途中に通る米倉地区はすべての条件がそろっていた(米倉小学校は平成30年3月に閉校)ので、住むにはちょうどいいのかなって思ってました。
なるほど。お子さんを持つ方ならではの視点ですね。
―「米倉に住みたい」っていうのを前提に仕事を探していたら、新発田市の協力隊制度に行き当たったんです。
それで応募を?
―はい。「これで移住できる」って思ったらうれしくて、すぐ応募しましたよ。
奥様から反対はなかったですか?
―お互いに何度も新発田に来ていましたし、それはなかったです。収入は減るかもしれないけど、それ以外の豊かさを得られるのであればいいのかなって。
広げた人脈で地域を盛り上げる
地域おこし協力隊のくらしはいかがでしたか?
―思っていたより忙しかったですね。
具体的にはどのような仕事をされていましたか?
―有機の里交流施設運営協議会という団体で「有機の里交流センター」と「米倉ふれあい農園」を管理しているので、そこでの仕事が多かったです。
農園の作業とか?
―そうですね。覚えたての知識で農園利用者さんにアドバイスを送っていました(笑) あとは、地域への大学生受け入れの調整役をしたり、交流センターで開催されるそば打ちやこんにゃくづくり体験の手伝いをしたり。
大学生の受け入れというのは?
―農村の実態調査という名目で、新潟大学の3年生が毎年訪ねてきてくれるんです。でも、ちょうと農繁期に重なるから毎年バタバタで。農園の作業の合間に地域の色んな人に連絡を取って、大学と繋げて日程を調整してと。大変でしたけど、そのおかげで多くの人と知り合えたのは大きかったです。
3年間の活動で、強く印象に残っていることは何ですか?
―3年目の「夏フェス」です。
夏フェスというのは?
―ふれあい農園を会場に、利用者さんへの還元の意味と地域のお祭りも兼ねた大きなイベントです。3年目は、閉校した米倉小学校で開催しました。

どうして小学校を会場にしたんですか?
―地域にとって学校がなくなるっていうのは、やっぱり一大事。「閉校しても地域で生かしていこう」っていう考えはありましたね。
なるほど。
―3年目の夏フェスでは、小学校の思い出の写真を使ったプロジェクションライティングやパーカッションの演奏を実現できたのがすごくうれしかったです。どちらも、協力隊の活動で知り合った人たちにお願いしたんですけど、「一緒に何かできればいいね」って以前から話していたので。夏フェスには1年目から会計として関わっていましたけど、3年目は集大成って感じでしたね。
くらしも仕事も米倉で
定住を意識し始めたのはいつ頃ですか?
―移住する前からです。自分の場合は「米倉に住みたい」と思っている時に協力隊の募集があったので、少し特殊かもしれないですけど。
米倉にくらしてみて不満はなかったですか?
―いいことしかなかったです。子どもは自然の中で自由に遊びまわれるし、家の中で大声を出しても近所に迷惑がかからない。3人目の子どもが生まれた時だけは、妻がしばらく働けなかったので経済面が少し苦しかったですけど(笑)。
子育てもしやすい?
―そうですね。地域の人が子どもを大事に思ってくれるのがありがたいです。3人とも地域に同級生がいるっていうのも、田舎過ぎない米倉のいいところかな。
退任後のお仕事を教えてください。
―米倉有機資源センターで働いています。家畜のふんや家庭・食品団地で出された生ごみなどを集めて堆肥をつくる施設です。

職場も米倉なんですね。
―はい。遠くに働きに出たくなかったのでうれしいです。その方が地域の手伝いもできるし、家族と過ごす時間も多くなるので。
仕事は大変ですか?
―季節によって堆肥のつくり方が違うので、まだまだ覚えることが山ほどあります。あと、仕事が決まってから協力隊の活動金で重機の免許を取ったんですけど、大きな機械を使いこなすのはなかなか難しいですし。でも、職場の先輩たちが地域の人で米倉にきてからの知り合いなので、その面では働きやすくて助かってます。
もっと住みよい家、地域づくりへ
協力隊の退任前後で変わったことはありますか?
―大きくは変わらないと思いますよ。地域の人と道で会ったら当たり前のように話すし、有機の里交流施設運営協議会の理事を今も続けてますし。そう言えば、オンとオフがはっきりしたかもしれないです。
オンとオフ?
―協力隊の時は、休むことに罪悪感を感じてたんです。なので、休みの日でも声がかかれば少し無理してでも出かけていました。今思えば、罪悪感なんて考えなくてもよかったんですけど、協力隊っていう立場だったからですかね。
今は違うんですか?
―はい。「今日は休みなんで」って堂々と断れるようになりました(笑) もちろん、必要とあればすぐに出かけますけど。
オフの日は何を?
―自分の畑をつくったので農作業をしたり、子どもと遊んだり。あと、家のリフォームをして薪ストーブを導入する予定なので、薪割りにもチャレンジしてます。
守谷さんは家を購入されたんですよね?
―退任時に市の補助金を活用しました。現役の協力隊の時から住んでいて愛着のある家だったので、「今後はここにずっと住めるんだ」ってうれしかったですよ。自由にリフォームもできますし。
地域との長いお付き合いの始まりですね。
―はい。米倉って今でも十分魅力ある場所なんですけど、もっとおもしろい場所にしていきたいなって思ってるんです。具体的に言えば、子どもたちが戻ってくる場所にしたい。
自分のお子さんですか?
―それはもちろんですけど、地域の中でも息子さんや娘さんが離れた場所に住んでいるっていうケースが結構多いんです。そういう人たちが、「米倉っていいね、おもしろいね」って感じてくれるようなことを仕掛けていきたい。そうすれば自然と米倉に戻ってきてくれて、過疎化も止められるかなって。
素晴らしい目標ですね。
―もちろんひとりでは何もできないので、地域の力を強くしていきたいです。
最後に新発田市の協力隊に興味がある人に一言お願いします。
―厳しい言い方かもしれないですけど、定住するつもりがないなら応募しない方がいい。3年間を無駄にする可能性もあるので。逆に定住しようと思っていれば、その気持ちが地域に伝わるので受け入れてくれるし、自分自身も何倍も楽しくなりますよ。子どもがいる人、特に転校とかが絡んでくると最初は大変かもしれないけど、来てしまえば何とかなります。少なくとも、子どもは楽しい生活が送れるかなと。大人が苦労するのはどこにいても一緒なので、だったら子どもが楽しいって思える場所に住んでみませんか?
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