歴史と概要 溝口家の入封と新発田城の築城2

ページ番号1005182  更新日 平成30年3月28日

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重家時代の新発田城を取り込んで築城

新発田城の周辺の様子

新発田城周辺地図


写真1
本丸の表門、辰巳櫓、右は時を知らせる太鼓櫓
「新発田城真景」より
写真2
本丸の御物見から見た二ノ丸の上級藩士の家並み
「新発田城真景」より
写真3
ニノ丸の大手 中の門
「新発田城真景」より
写真4
御下馬から土橋門、表門、本丸御殿へ
市立図書館 蔵

築城の地は新発田重家の居城跡を選びましたが、その規模は重家時代のそれを遥かに上回るものでした。
溝口秀勝が築いた新発田城の本丸北側の二の丸御蔵屋敷北側は「古丸」と称し、重家時代の新発田城の本丸であったと推測されます。新城はその地を城の一部として取り入れつつ、古城の数倍の大規模なものに建設されたのです。

新発田城築城のその後

新発田城は、溝口秀勝による築城開始後約50年の歳月を経て、三代宣直の時代にようやく完成しました。しかし、その後の大火や時間の経過による老朽化その他により、数度の修復や再建が行なわれています。
おおまかな新発田城の変遷は、次のとおりとなっております。

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