歴史と概要 新発田城の概要 1
新発田城の別名
新発田城には、浮舟城、舟形城、菖蒲(あやめ)城、狐の尾引城(狐尾曳ノ城)と言った別名がつけられています。ご存知でしたか? その由来は次のとおりです。
浮舟城
万一籠城戦となったときは、城の北に流れる加治川の堤防を切って城の廻りを水浸しにして敵から守れるように設計されていたため
菖蒲(あやめ)城
周囲に湿地が多く菖蒲(あやめ)がたくさん咲いていたため

狐の尾引城(狐尾曳ノ城)
築城を命ぜられた長井清左衛門(一説に葛西外記ともいう)が縄張り(平面設計)に苦心しているとき、日頃信仰している稲荷の使いの狐が枕辺に立ち、白雪の上に尾で図を示して教えたという伝説があるため
現在は、菖蒲(あやめ)城の別名で親しまれております。
三階櫓は新発田城の天守閣
三階櫓三階櫓は、築城当初からあったわけではありません。築城当初、その場所には二層のいぬい櫓が建っていました。これを後に三階櫓に再建したのです。
この三階櫓が、新発田城の実質的な天守閣となっていました。しかし、天守閣の新たな建設を認めないという幕府の方針や外様大名という立場による遠慮から、これを天守閣とは呼ばず、三階櫓と呼んでいました。
当時は親藩や特別の譜代の大名を除く他の藩においても天守閣という名称は用いず、三階櫓などと呼ぶのが普通でした。
三匹の鯱
お城につきものと言えば鯱鉾(しゃちほこ)です。櫓や門の棟の両端に対で飾られるこの鯱ですが、実は架空の動物で、ルーツについては諸説があります。
「鯱は対」というのが常識ですが、実は、新発田城三階櫓には三匹の鯱が飾られていました。
三階櫓の屋根の棟が丁字型であったために三匹の鯱が飾られることになったのですが、では、なぜ特殊な屋根の形にしたのか… この疑問を解決する明確な資料が今のところ見つかっておりません。
皆さんは、この「なぜ」についてどのようにお考えになりますか。

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